http://www.tokyo-np.co.jp/article/politics/news/CK2010020102000082.html
引用始め
日中両国の有識者による初の歴史共同研究の成果をまとめた報告書が三十一日、公表された。焦点の南京事件(一九三七年)については、日本側も「日本軍による虐殺事件」と認定したが、犠牲者数をめぐっては、日本側が「二十万人を上限に四万人、二万人などの推計がある」と指摘したのに対し、中国側は「三十万人以上」と主張。近現代史を中心に両国の歴史認識の違いがあらためて浮き彫りになった。
報告書は「古代・中近世史」と「近現代史」の二部構成で計約五百五十ページ。両国の担当者がそれぞれの立場から共通の時代、テーマについて執筆した論文を併記した。近現代史のうち、天安門事件(八九年)などが含まれる「戦後史」については、国内世論への影響を懸念する中国側の要請で報告書に盛り込まれなかった。
報告書では、特に近現代史で対立点が目立った。日中戦争全体での中国人死傷者数に関しては、日本側は全体像を示さなかったが、中国側は「不完全な統計」としながらも「約三千五百万人」と言及した。
従軍慰安婦問題と、細菌研究の特殊部隊「七三一部隊」については、日本側が詳しい説明を避ける一方、中国側は「日本軍は慰安所を設け、強制的に多くの女性を性奴隷とした」「人体実験、生体解剖を実施」などと踏み込んだ。
◆発表自体が成果
歴史共同研究委員会の日本側座長・北岡伸一東大教授の話 日中に歴史認識で大きな差があるのは周知の事実だが、両国の研究者が一緒の場に集まって議論し、それぞれの見解を互いに示し合い、発表にこぎつけることができたのは成果だ。
落ち着いた議論ができたが、中国側の議論に納得できないことも多かった。中国側の強い要請により、近現代史のうち戦後史が発表できなかったのは残念だ。メディアは極端な意見しか取り上げず、大多数の歴史家の考えは紹介されにくい。今回は極端でない意見を示すことができた。そういうことを国民に知ってもらえればいい。今後も専門家の間で淡々と議論を積み重ね、共同研究を続けていくことが望ましい。
◆相互理解の環境整備を
<解説>日中両国の歴史認識の溝は埋まらなかった。三十一日に公表された歴史共同研究の報告書は、南京大虐殺の犠牲者数などの争点で従来の見解をぶつけ合うだけに終わった。
共同研究は二〇〇六年、小泉純一郎首相の靖国参拝で悪化した日中関係の打開を図る安倍政権の提案でスタート。「冷静な研究を通じて学術的に歴史の事実を明らかにし、歴史問題をめぐる対立感情を和らげる」(報告書の序文)ことが目的だった。だが、研究者同士とはいえ、共産党の一党独裁体制を維持する中国と、学問の自由が保障されている日本が、同じ土俵で議論するのは無理な話だった。
両国の見解が一つの報告書にまとめられたのは「画期的」(外務省幹部)かもしれない。ただ、中国側の要請で討議記録が明らかにされなかったため、研究の成果がどのように各論文に反映されたのか分からず、言いっ放しの感は否めない。
両国は共同研究を継続する方針を確認している。政治体制の違いに翻弄(ほんろう)される愚を繰り返さないためには、もっと純粋な研究環境を整える必要がある。 (政治部・佐藤圭)
引用終り
そもそも「南京大虐殺」ではなく、「南京事件」が正しいのですが日本側まで「虐殺」だったという点は同意出来ません。しかし中国側の無茶苦茶な意見に付き合わされたご苦労を考えると、日本側に文句を並べ立てるのもかわいそうなのかも知れません。
>報告書では、特に近現代史で対立点が目立った。日中戦争全体での中国人死傷者数に関しては、日本側は全体像を示さなかったが、中国側は「不完全な統計」としながらも「約三千五百万人」と言及した。
当時の中国の人口は4億人と推測されていますが、その約一割も死んだと?盧溝橋事件から日本の降伏まで8年間です。年間でも平均約440万人です。これほどの人間を殺害することが可能でしょうか?重慶爆撃でさえ死者数は11,800人と中国側は発表しています。では地上戦だけで3500万人も殺害することが可能とは私には思えません。そもそも大量破壊兵器が当時の日本になれば、戦況は一変していました。それが中国だけに使われたとでも主張するのでしょうか。戯言に過ぎません。
>従軍慰安婦問題と、細菌研究の特殊部隊「七三一部隊」については、日本側が詳しい説明を避ける一方、中国側は「日本軍は慰安所を設け、強制的に多くの女性を性奴隷とした」「人体実験、生体解剖を実施」などと踏み込んだ。
慰安所があったのは事実でしょうが、強制性があると証明した証拠は何一つありません。そもそも3500万人も殺害しようとしたら、兵隊は慰安所に通う暇はありませんよ。
>落ち着いた議論ができたが、中国側の議論に納得できないことも多かった。中国側の強い要請により、近現代史のうち戦後史が発表できなかったのは残念だ。メディアは極端な意見しか取り上げず、大多数の歴史家の考えは紹介されにくい。今回は極端でない意見を示すことができた。そういうことを国民に知ってもらえればいい。今後も専門家の間で淡々と議論を積み重ね、共同研究を続けていくことが望ましい。
相当言葉を選んで発言されたのでしょう。大変なご苦労だったと思いますが、日本側だけでも「虐殺」ではないと主張して頂きたかったと思います。
>共同研究は二〇〇六年、小泉純一郎首相の靖国参拝で悪化した日中関係の打開を図る安倍政権の提案でスタート。「冷静な研究を通じて学術的に歴史の事実を明らかにし、歴史問題をめぐる対立感情を和らげる」(報告書の序文)ことが目的だった。だが、研究者同士とはいえ、共産党の一党独裁体制を維持する中国と、学問の自由が保障されている日本が、同じ土俵で議論するのは無理な話だった。
この点は佐藤記者のおっしゃるとおりです。中国側は議論というよりも政治戦術なのですから。
http://sankei.jp.msn.com/politics/policy/100131/plc1001312245012-n1.htm
>史観の違いは当初から織り込み済みだった。それ以上の思わぬ手法で中国側は日本を揺さぶりに出た。
平成20年、論文計32本とテーマ別の議論のコメントがほぼ仕上がった7月末、中国側が突然、会合を要求。関係者によると、中国側は、すべての論文の非公開を要求し、「数枚の報告書で総括したい」などと言い出した。驚いた日本側は「何が気に入らないのか」と押し返そうとしたが、「出す」「出さない」の応酬は約1年間続き、21年8月末、「戦後の現代史の論文の発表を見合わせる」ことで日本側が妥協した。
だが波乱はさらに続いた。双方は9月4日に最終会合を東京で開き、現代史をのぞく論文を9月末に発表することを決めていたが、最終会合も中国側は一方的にキャンセルした。
背景には、日本側の政権交代があるとみられている。「親中的な鳩山政権の出方の見極めたいという事情があったようだ」(協議関係者)。
曲折を経て昨年末の12月24日にようやく開かれた最終会合。このとき日本側は中国側が何を言い出すか分からないと構え、岡田克也外相に「決裂もあり得る」と報告。これ以上の譲歩を求めてきた場合は「決裂も辞さず」の外相の了解まで取り付けて臨んだという。
中国側は「実際に論文を出し合ってみて、改めて論文公表の内政への影響力に中国政府が懸念を強めたようだ」(外交関係筋)とみられている。首脳の判断というより、外交当局の保身との見方が強い。
中国の現代史が、中国側のウィークポイントだと認めたのですから次回からはここを攻めていけば良いのです。共同研究ととらえるからいけないのであって、情報収集・外交戦略として行うべきなのです。


by souya951
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